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サックスよもやま話その1

デビッドニューマンというテナーサックスを紹介しよう。世に言う、B級テナーサックスという🎷称号があるが、まあ横綱格が、ハンクモブレイという、、まあ、チャーリーラウズなんかも、横綱級か、、しかし、時折A 級テナーを脅かす、ソロをする、、、B級テナー恐るべし。A級って誰?まあ、人それぞれだが、まあ、ロリンズ、コルトレーン、コールマンホーキンンス、スタンゲッツ、、レスターヤング、ウェインショーターとかいうのかな、でも、ハンクモブレイはB級どころではない、最高だと、おもう人もいるはず。でも、この人、デビッドニューマンは、レイチャールズ楽団のフロントとして、活躍し、何枚かアルバム出している。まさに、B級というとこか。なかなか味のあるソロをする、、好みのテナー。まあ、とにかく、沢山いるのだ。アメリカは広い。か

やっぱり、この人は絶対、取り上げなくてはいけない。

盲目のマルチ奏者、ローランドカーク。この人を初めて聞いたのが、ジャズ喫茶、おそらく天神コンボだと記憶している、大学時代、ジャケット観てたまげたのである、三管を同時に吹いてるではないか。そのほか首か、打楽器みたいなものもぶら下げてる。しかし、音だけ聞くと何人かが、吹いてる様に聞こえる。日本では、どちらかというと、奇人変人、グロテスクなどと揶揄されるが、ちゃんと伝統に根差した、凄いジャズを演るひとなのだ、いまいい時代で、あやゆる映像が見れるのである。チャーリーミンガス    、マッコイタイナー、ソニーロリンズとも共演してるのもある。公民権運動にも、賛同し、政治的な発言、言動、、今の時代に生きていたら、黙ってはいないだろうなあと、ふと思う。また、ブルースマンとも、ソウルシンガーなどとも共演しているのだ。まさに、ブラックミュージックの、雄である。

ピアニストよもやま話 その1

今回のピアニスト紹介は、レスマッキャン。

この人は、ソウルピアニストと言った方がいいかも、

自ら歌も歌う。このグルーヴ感は、只者ではない。これは、サックスのエディハリスとの共演。

こういうピアニストは、ラムゼイルイスもそうだが、日本より、アメリカでの人気は凄いものがある。日本のジャズ喫茶では、あんまり聴いたことがない。深刻に聞くピアニストではない。昔、NY行った時、ハーレムだったかなあ、怪しいジャズクラブに、訳もわからず友人二人で、入ったらこんなの演奏してました。周りもバンドも、みな黒人ばかり、怖かったが、演奏はノリまくっていました。思い出す。

久しぶりのピアニスト特集。今回は、この人。

ルイスヴァンダイク、、オランダのピアニスト。

風貌は、なんか懐かしいハリウッドスターみたい。有名なのは、オランダのジャズボーカルのアンバートンの伴奏。自分もこれで知りました。その後、トリオ演奏も聴きファンになりました。

2006年、横濱ジャズ・プロムナード出演しているんですね。『バラード・イン・ブルー』が有名。ギタリストで、ルイスヴァンルーラーという名手もいる、、、。

レコードの魅力そして謎

長老堂も、開業して、2か月が経ちました。リバーサイドにあった、LPレコード、CDを中心に売って行こうと決心して、思い出のある、LPレコードなど沢山あるが、この歳になると断捨離だと割り切っている、業者にまとめて売っても、その時限り、なんか虚しく、好きな人に一枚一枚、聴いてもらった方が、レコードも喜ぶだろうと、勝手に思うこの頃。でも、売ることへの抵抗はまだある、本来なら、リバーサイド  を継いでくれる人がいれば、その人に譲るのがいいのだが。まあ、その時のためには、売らないで、何枚かは持つことにしよう。問題はCD、、一枚一枚チェックしたが、大部分は擦り傷が入って、無傷は、数えるほど、売り物にはなかなかならない。プラスチックのケースもヒビが結構入り、なかなか大変。そこで、そういうのを全て、紙布のケースに入れ替えました。そして、レコードや、CD.本など、買ってくれた方に1枚プレゼントすることにしました。その点、LPレコードは、多少傷があり、またジャケットが、汚れてても、商品として成り立つことがわかった。実際、ヤフオクで、何回か、売った時もそれを承知で結構買ってもらったのである。

レコードのこの大きな魅力、普遍の価値をあらためて実感。思えば、ジャズが好きなった大学時代、なけなしのお金をはたいて買ったLPレコードがソニーロリンズの「サキソフォンコロッサス」でした、いまでも手元に大事に持ってる。当時、2万ぐらいが1ヶ月の生活費、その中から、1700円を出して買うのに、2.3日、悩む。今で言えば、まあ、1万ぐらいの価値が、、、貧乏学生には、大きな金額なのです。しかし、擦り切れるほど聴き、ああ勝ってよかったと今でもしみじみ思う。CDとかだと、そうはいかない。もう、何処に起きたかわからなくなる、探すのが大変、すとれになる。来るなどで聞くのに、CDいいが。

今回、勉強になったのが、レーベルのこと。

いわゆる、原盤の見分け方とか、マイナーレーベルの発見とか、多少わかってはいたが、調べれば調べれほど、奥が深い。そして、ジャズのマイナーレーベルの多さに驚く。

ジャズといえば、ブルーノート、プレスティジ、リバーサイド、ヴァーブ、veejy.などか頭に浮かぶ、、、そのほかヨーロッパのECM.スティープルチェイス、MPS.などが挙げられる。面白いとこでは、STRATA-EAST.とか

BYG.とか、INCUS,とか、まあ沢山ある事にびっくり、200ぐらいはある様です。

しかも、こよオリジナル原盤というのが、よくわからない。あんまり、レコードコレクターでもなかった自分は、音楽が聞ければいいというかなり、大雑把なジャズファンであり、どちらかというかライブ派。だから、オーディオについてもほとんど素人。「線をやってる時もこのオーディオマニアが苦手でしようがなかった。カートリッジがどこの?とかケーブルは何?スピーカーは?ターンテーブルは?もう嫌々でしようがなかった。レコードについても、あんまり知識がなかった、これではジャズ喫茶のマスター派失格かもしれない。しかし、まあ酒場でワイワイが好きな方で、音楽も所詮は人と人との交わりの中で初めて、音楽がいきるのであり、ひとりで、部屋に閉じこもり聴くというのはどちらかというと苦手の方であった。

しかし、大病患い、体力が衰えると、部屋にいる時間が増える、人との接触とすくなくなると、ひとりの時間を過ごすのには、音楽、読書、映画になる、元々好きなことばかりだから、苦にはならない。ひとりている時間はそれはそれでいいものだ、自由だし、ストレスがない、、、。しかし、、金を稼ぐ、生きていかねばならない、そして、考えたのが、この商売、長老堂なのです、、、まあ独りよがりの趣味のサイト、、まあ年金のたしになればいいと始めた、しかし、そんな生易しいものではなかった。奥が深いレコードの世界、勉強の毎日なのです。

これからも、続く、、あくなき、世界。

いま、誰の音楽に凝っているか?、?実は偉大なあの、j.sバッハなのです。なんと、ジャズと一番通じるあのバッハなのです、このバッハとジャズの事は、次回詳しく書きたいと思ってます。ジャズでなくすみません。

長老堂 サイト開設にあたり、ご挨拶

リバーサイドを閉めて、もう1年が経過してしまいました。予期せぬ病いと立ち退きが重なり、断腸の思いで、長い歴史に終止符を打ちました。再起を目指し、また別の場所でもう一度と、思った時期もありましたが、今年で古稀の70歳、体力の衰えは如何ともし難く、また同じ中洲で、再開するには家賃など、あまりに経済状況が、大幅に変わってしまいました。いままで、いろんなミュージシャンとの出会い、また足を運んでいただいたお客様には、感謝しかありません。一時はもうジャズ界との関わりを捨てようかと思った時期もありました。
そして、倉庫に保管していた沢山のレコード、CDもまとめて処分する事も考えました、、しかし、ある時ふと、4000枚近くある、1枚1枚の特にLPレコードに、自分だけでなく.いろんな人の長年の思いがあるのではと、、、まとめて処分するより、本当にジャズを愛する人の元で、聞いてもらうのが一番いいのではと、勿論自分の生きる糧にも同時になると、、、そして思いついたのが通販でした。しかし、既にヤフオク、Amazon、楽天などで沢山販売されているし、、果たして成り立つのかと、しかもシステム組むのは容易ではない。
しかし、これによつて少なくともジャズの世界と関わりが持てる事が出来、喜びを感じる事ができると、また、微力ながら、福岡のジャズミュージシャンのCDの発売、宣伝にも役に立つかもと。ジャズは基本はやはりライブという考えは今でも変わりません。でも、また反面、日本独特のジャス喫茶文化が、今のジャズの礎を作って来たのでも事実。しかし、レコードのみを聴かせるジャズ喫茶は、もうほとんどなくなってしまいました。昭和が終わり、平成を経て、令和という新しい時代になりました。しかし、レコード文化は決してなくならないと自信を持って言えます。ジャケットから、レコードを取り出しターンテーブルに針を落とす、そしてスピーカーから流れる音を楽しむ、、まさに茶道の様な様式美です。今回、販売するレコードはほとんどがリバーサイド にあった実際のレコードです、
正直、ジャケットが傷んでるのが多いです、しかし、フリージャズなど、レアなものもたくさんあります。そしてこれからは、自分もそうしたレアなものを仕入れたり、また委託販売も積極的にやります。また、古書についても、同時に販売したいと思ってます。
そして、このサイトの立ち上げに、多大なご尽力をいただいた、一級建築士の山本昌史氏にお礼を申し上げたい、彼は、自分がマスターを引き継ぎ、リバーサイド をリュアルして開店時の時も店舗の設計をしていだだいた方です。そして、彼と知り合ったのも、昔、天神にあったジャズ喫茶「コンボ」でした。

また、今回、開設にあたり、長老堂のロゴ書体を書いて頂いた堀尾茂雅氏、チラシなど作成して頂いたMASA氏、倉庫からの搬出を手伝って頂いたミュージシャンの方々、そしてクラウドファンデイングで、多くの方にご支援いただいた方々に感謝申し上げます。

是非、時折、気軽にのぞいて頂き、お気に入りな物を見つけてください。
今後とも、よろしくお願いします。

日本ダービー回顧録〜思い出のダービー馬

日本ダービー回顧録〜思い出のダービー馬
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いよいよ、日本ダービーが東京、府中競馬場にて、5月27日の日曜日に開催される、85回目にもなる。思えば、大学を卒業して、就職で上京。着任した部署の先輩で、部類の競馬好きがおり、当時、まだ土曜日が12時までの就業で、週休二日ではなかった、田舎者が上京し、周りにさしたる友人も、勿論恋人などいるよしもない中、この先輩の後ろを金魚の糞のように付いて回っていた。そして、着いたところが、中山競馬場、この頃の中山競馬場は、今とは違い、汚く、怪しい人種が、ウロウロしていた。いわゆる鉄火場である。先輩の見よう見まねで、競馬新聞を買い、馬券を買った。その頃の馬券は単勝、複勝、枠連の3種類しかなかった、そして、目ごとに一枚一枚の馬券が、発券される。だから、かなり1レースごと分厚くなる。昭和48年の春である。丁度48年はあのハイセイコーが、地方競馬からさっそうと中央競馬に移籍し、無敗で、弥生賞に登場したのである。泥んこ馬場で、勝った。鞍上はのちに「さらばハイセイコー」といううたを自ら歌い大ヒットした、増沢末夫騎手、当時話題になった。地方競馬から野武士のように中央に来て、血統馬をなぎ倒す姿に、下流階級の労働者群は、拍手喝采し、応援していた。話を戻そう、当時会社の寮が府中の隣町、調布の深大寺近くにあった、日曜日こと、ゾロゾロ、寮の先輩達が、首からラジオをぶら下げ、朝から出で行く姿を見ていた。そう、みんな府中の東京競馬場に行ってたのである。自分も、同僚と出かけた、その日はオークスの日、勝ったのが嶋田功騎手が乗るトウコウエルザ、2着が、あの岡部が乗るスピードシンザン、⑤-⑤のゾロ目で確か7.8千ついた。200円馬券を3枚買ってたのだある。4.5万勝った、初任給10万くらいの頃である。まだ、競馬始めてすぐの頃、いわゆるビギナーズラックである。なんだか、こんな面白く、ワクワクするものはないと思い、のめり込み、まあ45年余り続けているのである。だから、ダービーの日は思い入れ強い。東京にいれば、現場にいたいと思うこの頃、来年こそ絶対、東京競馬場に、と毎年思うこの頃。ハイセイコーは前哨戦のNHK杯も勝ち無敗でダービーに。勿論圧倒的1番人気、明後日のやはり無敗のダノンプレミアムとダブルが、こちらは超血統馬、そこが違う。しかし、結果は、タケホープに敗れ、2着はイチフジイサミ、ハイセイコーは直線で失速、3着である、場内は悲鳴に近い声、声。大荒れである。競馬に絶対はないという名言を噛み締めた時である。その後、このタケホーブには、菊花賞でも敗れ2着。その後なかなか勝てず、たしか、今で言うG2を一勝して引退。さらばハイセイコーである。
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強いダービー馬といえば、カブラヤオーか、
その年は、テスコガビーというまた化け物牝馬がいて、桜花賞、オークス連覇。そしてこの両馬に騎乗していたのが、菅原泰という騎手、決して一流ではなく、ただひたすら逃げるというワンパターンの騎乗で皐月賞、ダービーと勝ったのである、それは強かった。
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そして自分が、思いで残るダービー馬🐎といえば、ミスターシービーか、いつも最後方に位置し、ごぼうぬきする、あの剛脚に痺れていた。騎手はあの吉永正人である、今コメンテーターとかで、テレビに出る吉永みち子の元旦那である。寺山修司が彼の大のファン、
丁度ダービーの日、フジテレビの解説で出演していた。この頃すでに寺山修司は病気を患っていたのである。寺山修司は競馬が好きなって、彼のエッセイとか競馬に関する本を貪り読み、その都度、ロマンと郷愁に浸っていた。「馬破れて山河あり」「競馬への望郷」とか、報知新聞に連載していた、競馬エッセイが大好きだった。すし屋の政、トルコの桃ちゃんとか必死に馬券を握りしめて、当たったり、外れたりする悲喜こもごもに、市井の人々の姿に自分を重ねていた。かれは、一時馬主にもなった、その経緯が面白い。ある時、雑誌で、地方競馬の馬の事をドサ回り呼ばわりし、それを見た大井競馬の調教師が激怒し、それを聞いて寺山修司が謝り、、馬主になり、ある一頭をその調教師に預けた、それが「ミオソチス」という牝馬。ミオソチスとは、日本名で忘れ草という、ひっそりと路上に咲く、一輪の花である、、粋な寺山修司である、いい名前である。いまその馬と映っている写真をリバーサイドのカウンターの後ろに貼っている。この写真は、絵葉書で実は、寺山修司と親交のあった、新宿に住んでるもの書きの人が何年前か、リバーサイドを訪れてくれ、寺山修司がすきだっといだら、後日絵葉書を送ってくれたのである。大事な絵葉書。
寺山修司とは、じつは、一度すれ違ったことがある、渋谷の場外馬券売り場近く、天井桟敷もその近くにあった。横に女性が一緒、おそらく九条映子だったろう。下駄を履いてたようで、恐ろしくおおきな男の印象でした。ミスターシービーの解説のあと、しばらくして、死去の訃報。ミスターシービーは、その後菊花賞もとり、シンザン以来の三冠馬になった。悲しかった。寺山修司は天国で、さぞかし喜んだろう。今はかれの本、映画、芝居、競馬感、自分の人生にこれだけ影響受けた人はいない。彼には、都会のひとにはない郷愁がある。
ミスターシービーの後現れたのが シンボリルドルフである。この馬は憎たらしいほど強かった。とにかく、馬券は取れた、しかし、トリガミつまり、当たるが儲からないの繰り返し。こんな馬は余り思い入れがない。むしろ、その後現れた名バイプレイヤーに惹かれる、例えば、ひたすら逃げて買った、ミホノブルボン、サニーブラウン、特にサニーブライアンは、皐月賞でも、大外から逃げ切り、馬連をとって、万馬券せしめ、大儲けした記憶がある。そのほか、父ハイセイコーの無念を晴らしたカツラノハイセイコ-とか、競馬は血統とよく言うが、確かに、父が母が、果たせなかったダービーを🏇、勝ち取るというドラマがある。他のギャンブルにはない、血統というこのロマン、長く続けてきた魅力がここにある。また、牝馬で圧倒的強さで勝った名牝ウオッカなど、思い出は尽きない、今年もあと6時間余りで、第85回ダービーが始まる、そして、昨日、初孫が生まれた。東京の息子から連絡。女の子、ウオッカみたいに強く美しい女になって欲しい。しかし、名前を聞いてドン引きした、、、これはここでは書けない、、、余りに衝撃的で、なお感動的な名前、、、。血統を次ぐ、、、わしの。
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