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やさぐれて、今年ももうすぐ終わり・・・

この前の「独り言」でジャズの現状憂い、最近のジャズボーカル状況のことなどを書いたら結構、反響がありました。決してジャズボーカルを否定しているのではありません。ジャズボーカルの世界が今のジャズの現状を象徴的に表しているからです。あるべーシストなどは小生のことを「もうおいさき短いので、言いたいこと言い始めた・・・」なんて言うし(ま、あながち間違ってないかも)、また某ジャズファンクラブの会長は、深夜電話してきて、いたく感銘したとか。また、ある若いギタリストはこのコラムを印刷して持ち歩いていると、少々恥ずかしい気がした。まあ、ある程度、同じ思いを持ってる人がいるんだなあと。意外と楽器するミュージシャンに多いのでは。

まあ、なんでまたああいう事書いたたかというと、何度も言うようですが、どうも自分がかつて聞いてきた70年代、80年代のころとジャズの聴き方が様変わりしている。ある意味、国際化して日本人のレベルにはるかに向上し、また向こうの有名なミュージシャンが来日し目の前で聞けるようになったのと,バークリーなど有名な学校にたやすく行けるようになって、外国人ミュージシャンとの交流がさかんに行われ、レコーデイングに外人をたやすく起用できるようになった。そして大手楽器メーカーがジャズの教育にかなり、ビジネスとして力を入れてきた。居酒屋でもラーメン屋いってもジャズが巷に溢れ、日常に浸透してるかのように見えるが・・・・。そしていわゆるジャズ喫茶が衰退していくなか、ライブハウスが多く開店している。福岡でもしかりです。オールジャンルの店が以外と多く、ジャズのライブも時折、開催されている。自由競争社会ですから、こんなこと言ってもしかたないことですが、結構有名なジャズのミュージシャンがそういう箱でライブしている現状見て、ああ、時代はかわったんだなあと実感する。昔はジャズの店行かなくてはジャズは聞けなかった。それがジャズ文化を支えていたと思う。リバーサイドのような店は、いままでどおり、ゲリラのようにはいつくばってジャズをやっていくしかないのであるが。 (さらに…)

たまにはジャズのこと忘れて・・・・

ずっと、ジャズのことにたずさわり、仕事にしていると、時にはジャズのことから離れたくなることがある。毎晩のようにライブをやり、レコード聴いたりしてると感覚が麻痺するというか、マンネリになるというか・・廻りの人が熱心にあの人凄いよとか、あのCD凄いよとか言われてももうひとつ気がのならない日々が続くことがある。歳のせいかもしれない?また長年、ジャズを聴いてきて耳が老化現象おこしているのかもしれない。

1960年代後半から70年代、80年代東京にいた頃、ピットインやタローなんかに毎週、聴きに言っていた頃が懐かしいのである。当時はブルーノートもなく、ほとんど日本人の演奏するジャズである。いわゆる土着ジャズである。なにか泥臭く、熱い思いになったことが懐かしい。今のジャズも質はかなり高くなったし、もう国内だけでなく、NYのミュージシャンなんかとCD出したり、ライブする時代になった。しかし、しかしである技術的には素晴らしい人はたくさんいるが・・心から湧き出る感動が少ないのである。だから、新譜のジャズにほとんど興味がわかない。この間、あるボーカルの女性と遅くまで飲んだ時、その人もしばらくジャズを聴きたくなくなり、オペラやクラシックを聴いていたと。その人が言っていた「今、ジャズは垂れ流しみたいに巷に流れ、あらゆるところでライブしてつまらない」と。自分と同じ感じなのである。またBsで東京ジャズを放映していたが・・最後まで見れない・・つまらないのである。これはかなり重症かもしれない。また、ジャズがまた好きになるまで、旅に出ようと思う。ほかの分野でなにかを見つけなくてはならない。 (さらに…)

アジアの隣国に思うこと・・・・

経済の明るい見通しがなかなか立たない日本。日銀の円高介入やゼロ金利政策が一時的な効果しか生んでいない。国内では相変わらずの就職難、そして年収200万以下の人が1000万以上もいるらしい。いわゆるワーキングプアである。一日、ふたつ以上の仕事をする人達が増えている。また高齢者の生存不明が相次ぎ、また、無縁社会と呼ばれ、高齢者の孤独死、自殺が増加している今の日本の社会。この10年、いや20年ぐらいの間、なにか無間の闇の中に沈み込んでいっているような気がする。

享楽的、刹那的になっていく人々、TV、マスコミの番組、報道を見ればわかる。夜中に家に帰り、TVつけるとまともな番組が放映されていない。軽薄で頭の悪い連中が出ては、つまらないギャグや笑い、しもネタを連発する。若い女達を集めてオーデションをする、スケベな男達の群れ。TV界は、もうインテリジェンスのかけらもない。そしてもっとひどいのが政治の世界。小沢の検察審査会での起訴相当、決定が降りるや、また、野党、、民主党の一部から国会での証人喚問の大合唱!!そして尖閣諸島問題での政府対応の波紋。仙石官房長官のいねむり、250万もするブランド服を身にまとった仕分け人の雑誌撮影の問題やら・・・。国会中継をよく見るが、多額の国費を国会議員に本当に払う必要があるのか?と素朴に思う。 (さらに…)

父の死に思うこと・・・・

1日の未明、突然 父が亡くなった。晩年は特別老人養護施設で元気に過ごしていましたが、、血圧が急激に低下し、食べ物も喉を通らなくなった旨が昼間姉から電話がありました。急遽病院に移ったが、あっという間に亡くなってしまいました。享年93歳の大往生でした。思えば母のときも臨終に立ち会えず、父の時もである。母は病院で長期療養していた。サリーマン時代であり、場所も北九州ということで、かけつけられなかった。今回もライブ中でもあり、無理であった。因果な商売である。思えば親不孝な息子である。悲しい限りである。映画のように手を取り、最後の言葉をかけたかったと思うのであるが・・・。急遽亡くなったこともあり、側に姉がいたからよかったが、もし近くにだれもいなかったらと思うと。葬儀屋など段取りは姉がしてくれ助かったのである。長男である自分が喪主であり、お坊さんへの対応、挨拶などそれなりに大変でありました。この浄土真宗のご住職、母のときにもお世話になり、久しぶりに再会。しかし、いまは癌にかかり、治療中だそう。あととりの息子さんが一緒。このご住職、話が非常におもしろいのである。通夜の意味を聞かされ、思わず納得。葬儀と違い、通夜は故人の思い出など語り合い、あの世に行く前の壮行会のようなものということで、お経のあとは笑いながらのお話。93歳の大往生ということもあり、余り悲しい雰囲気ではない。また親戚のおばさんどもよくしゃべること!ほとんどつれあいは先に先だたれひとりもの。本当に女性は元気。親父の一番上の姉は96歳なのである。そしてあらかじめ考えていた紋きりのありきたりの喪主の挨拶はやめ、アドリブ一発、これがあとで好評でした。やはり人間は本当の言葉でしゃべらなくてはいけません。父との様々な思い出を語りました。幼少のころ、川に泳ぎに連れていかれたことなど、そして、なにより父は私に怒ったことが本当になかったこと。好きなようにさせてくれたことです。

小串家三代

宮大工の息子として生まれた父は、一時修行して大工として働くも、のちに商売するも失敗、工場で働いたり、また晩年は工務店を経営していた。満州事変に行きました。しかし、長男なのか太平洋戦争には召集がかからなった。しかし、それはそれでいろいろ大変だったらしい。住職とも仲がよく、いつも戦争の悲惨さを訴えていたらしい。年一回戦友会に行くのを本当に楽しみにしていました。カメラが趣味でリバーに置いてあるカメラは父から譲ってもらったもの。また、踊り(いわゆるシバオケ)が好きで、元気なころは戦友会や施設で人を楽しませていたらしい。あるとき偶然股旅姿の写真を見たときは驚いたものです。そういう父はまったく金儲けは駄目でしたね。お人よしで商売には向かない。でも葬儀に参列した人達は皆、心から悲しんでくれてましたね。とくに養護施設の方が理事長以下たくさんの方が見送りしてくれました。
人間はいつかは死ぬ。しかし、死ぬことなど意識して生きてはいない。こうした身内や友人の死に直面すると考える。そして年を取ると、段々意識し出すもの。ここ数年、そう 50代になってから、仏教の本やキリスト教などの本をよく読むようになった。とくに家は浄土真宗ということもあり、親鸞に興味を持ち「歎異抄」「教行信証」、などや五木寛之の「親鸞」や吉本隆明の「最後の親鸞」野間宏「歎異抄」など、かたっぱしから読んだ。他力本願思想の親鸞、難行や難しい学問だけでは成仏しないこと・・・念仏こそがまさに成仏できる道。まさに民衆の仏教なのである。

最後に「歎異抄」のなかに以下の一節を紹介しよう。意味深い言葉である。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」・・・

解説すると

「私は煩悩をいっぱい持っている凡夫です。また私の住んでいる場も不安に満ちた無常の世界です。そういう私がどうして善悪など確かな認識を持つことが出来ましょう。およそ、この世で人間がすることはすべて空しいこと、うつろなことで真実なことはまったくありません。ただ、念仏のみが真実です」

一読すると虚無的な感じもしますが・・・善行とおもったことが
相手を傷つけたり、また逆も・・よくある。善悪の判断などもともと人間には出来ないのであると・・・・なにか実生活でもよくあることのようであるが・・・。
煩悩具足のわが身、苦闘は続くのである。

夏の終わりに思うこと・・・

中洲ジャズナイトも終わり、中洲の夏も終わりました・・・が相変わらず猛暑が続いております。
さて、また終戦記念日が8月に来て、この時期いつも戦争について考えさせられます・・.・今回たまたま、サウナに泊まり、朝なにげなく中洲太洋映画館の前を通ると、「日本の一番長い夏」という映画のポスターが目に入る。午前10時から上映。時計見ると、9時40分ごろ、大名の自宅に帰り昼寝しようかと思ったが・・観て帰ろうと、立ち寄った。1日1回の上映でなかなか時間帯から観る機会はない。原作というか監修が半藤一利 。岡本喜八監督の「日本の一番長い日」という東宝映画をご存知でしょうか・・。日本の終戦日8月15日の天皇の玉音放送実現までの長い1日を描いた作品です。阿南陸相役の三船敏郎、迫水書記官役の加藤大介の名演技が際立った名画でした。今回のこの「日本の一番長い夏」は昭和38年に半藤一利が司会し文芸春秋の企画したもの。終戦にいたる経緯を当時の軍人、文化人、政府要人、一般人などを一堂に集め、座談会形式で語らせ、当時の文芸春秋に掲載したものを今回映像化したものである。配役もおもしろい・・ジャ-ナリストの田原総一郎や鳥越俊一郎、脚本家の市川森一やあと国際弁護士落語家、料理家、スポーツジャーナリスト、などが当時の軍人、外交官、政府高官、新聞記者の役を演じている。内容は終戦にいたる軍部の動向、政府高官、外交官の当時の動きを語らせる。とくに興味があったのはロシア在留外交官がソ連に和平の仲介役を働きかける話である。政府ははなから余り期待してなかったことがこの映画でわかる。早い話が政府の外交がバラバラで現地との意思疎通がほとんどなかったのである。。そして、広島に原爆が落とされその直後も危機管理の薄さ、政治のおそまつさが長崎に原爆が落とされる結果を招くのである。そしてようやく天皇のご聖断を仰ぐのである。そう思うと、沖縄戦が終了後、終戦すれば、原爆投下がまぬがれたのではないかと我々、戦後生まれの人は思う。しかし、半藤一利は言う「アメリカは軍事的なプロセス、共産主義勢力への圧力として原爆投下は避けられないことだった・・・」とさらりと言う。本当にそうだろうか?軍部、とくに陸軍からの圧力があったにせよ・・早期戦争終結派の決断、行動が遅かった感はいなめない。こうして見ると今の民主党政権の政府のおそまつさにも通じる。
一般人の犠牲はいつもこうした政治のおそまつさから生まれるのは今も変わりない。

今の日本に戻るととうとう小沢一郎が重い腰をあげ、勝負に出た。今月14日民主党代表選挙が行われる。鳩山のあいかわらずの宇宙人的言葉、行動が混迷に拍車をかけた、ついこの間、首相を辞め次回の衆議院選挙に出ないと確か言っていたはず。このわけのわからいお坊ちゃんがどうも政界をかき乱している。平成の坂本龍馬きどり(このへんはあの弟にそっくり)で管と小沢の仲介をしようとしたが失敗。管も一時はトロイカ体制などというおろかな案に傾きかけたが、前原、野田、仙石などの抵抗にあい脱小沢に固まった。小沢がもし、党の要職、幹事長などで復帰したら、総理は続けられるだろうが、孤立するに決まっている。ここらは管もさすが修羅場をくぐって来た政治家である、踏ん張った。そして、管、小沢の会談で双方決裂し、立候補したのである。さあ、どちらが勝つか??国民的には管が圧倒的に強いが・・しかし、これは民主党の国会議員、地方議員、党員による選挙なのである。世論調査で管が有利であっても、違う結果が出る可能性が大きい。確かに小沢には金の問題への不信が強い。検察は一応不起訴であり、検察審議会の結果によっては予断はゆるさないが一定の結論はでているが、・・・がである小沢自身からの詳細の説明がないままである。庶民感情からもこういう男が総理にふさわしいのか?という素朴な疑問である。しかし、民主党議員の過半数以上が小沢ならなにかやってくれそうという決断力、指導力に期待しているのである。とくに1年生議員の多くは選挙での小沢への恩義か、忠誠である。やわらちゃんなどは決起大会でがんばろう!!と叫んでいた。国民目線とは違う、魅力が小沢にはあるのであろう。管はどうか・・・いまだ支持率は高い。しかし、どうもテレビなどで表情見ていると余裕がないというか落ち着きがない。攻めているときの彼は冴えているが、守りの時は弱いように感じる。
3日のテレビ朝日の朝の番組にめずらしく小沢一郎が単独で出演していた。結構、政策や政治と金の問題など聞かれ饒舌に真面目には答えていた。普天間問題で、国際情勢から見て将来は沖縄に基地が抑止力として必要はないと言っていた。なんとなく小沢なら米国と交渉してくれるんじゃないかと期待を持たせる。そして財務省などの官僚へのにらみもききそうな印象を与える。総理大臣という絶対権力を握るとなにかやってくれそうな・・・期待を持つ。以前から小沢待望論を小生はこの独り言で言い続けて来た。一度やらせればと思う。いままで、小泉以降の麻生、安陪、福田、鳩山やらのどうしょうもない2世総理よりも腹が座っている。悪人づらではあるが・・・政治は結果である。47歳(最年少)で自民党の幹事長をこなした男である・・・もう彼しかいない・・と思うが。
敵も多いがそれも主張が強いということか。