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ドラマーよもやま話 その1

今回から、いよいよ、jazz drummer 特集です。まず、第一弾は、この人、ジョーモレロ、、、今日、テイクファイブでのドラマソロに痺れる人、沢山いるでしょう、自分もその一人。かれは視力が、著しく悪かったらしい、最近知りました。

1956年デイヴ・ブルーベックに乞われてその一員となり、その後67年まで約11年在籍。その間62~64年ダウンビート誌のポール・ウィナーも選ばれたのです。

ブルーベック・カルテット退団後はドラム教則本を書き下ろし、彼のドラミングは、デイヴ・ブルーベック・カルテットの大黒柱となっており、その非凡な技巧と卓越したスイング感は多くの人から賞賛を受けている。

次はこの人、エドブラックエルです。

かれのドンチェリーとのDUOを聴いて、この人のドラム、日本の田舎の、祭囃子をすぐ連想した。なんとも、懐かしい、、響き、間、そして、大好きなユニット、このold new dreamsでのドラム、、、他に類を見ない。

生で一度、聴きたかったドラマーのひとり。

1927 – 1992.10.7 

米国のジャズ奏者。ニューオリンズ生まれ。

1940年代後半、生地のニューオリンズでブラス・ジョンソンらとギグをこなし、オーネット・コールマンと知り合う。’51年LAに移り、コールマンのレギュラー・メンバーとなる。’60〜62年コールマン4に参加後、’65〜66年ドン・チャリー、’67〜68年、’70〜73年コールマンらとと共演。人口腎臓であったため’72年よりウェスリアン大学で教鞭を執るほか、演奏活動の場は限られた。’76年にはチェリーらとオールド・アンド・ニュー・ドリームスを結成。代表作は「エル・コラゾン」(ECM)など。

サックスよもやま話 その4

まず、この人。ソニーフォーチュンです。コルトレーンの後継者がよく、話題になるが、、愛弟子?ファロアサンダースがよく、言われる。コルトレーン、ジャパンツアーにも同行した。その後、やれアーチシェップ、だ、デビットマレイ、だ、チャールスロイドだ、、デイーブリーブマンだと言われたが、、、どっこい、自分は、案外この人かもしれないと思ってる、ただ、後継者とか、そんなものはどうでもいい事かも。初めて、NYに旅行した時、ケニーバロンとのデュオのライブに、遭遇した事がある。素晴らしかった。

エルヴィンジョーンズのジャズマシーンのメンバーでも、あった。エルヴィンお気に入りのサックス。日本での、評価が意外と低い。

もうひとりは、ガトーバリビエリです。アルゼンチン生まれ。チャーリーパーカーを聞き、ジャズを目指したらしい。ドンチェリーのユニットに参加、コルトレーン、アルバイトアイラー、ファラオサンダーズ、などの影響を受けて、フリージャズ、サックスとして、初期は、活躍。チャーリーヘイデンの名作「リベーレーションミュージックオーケストラ」にドンチェリーと参加したりしてる。そのあと、アルゼンチンの民族音楽を巧みに取り入れ、オリジナリティのある作品を発表。映画「ラストタンゴインパリ」のテーマを吹いているは有名。自分は、まだ、岩田屋が経営していた頃の福岡ブルーノートで、彼のライブを聞いた。それはそれは、エモーショナルで、情感豊かなサックス🎷でした。クライマックスでは、ジャケットのスタイルで、フラメンコ?を踊り出したのです。彼もある意味土着ジャズの旗手かもしれない。フアンです。

ピアニストよもやま話 その2

今回は、ねちっこいピアノ🎹といえば、この人の右に出る人はいないだろう、ジーン・ハリス、、スリーサウンズという、ユニット名で、長年、活躍した、稀有なトリオ。時折、スタンリータレンタインなど、テナーを入れたアルバムもある。これもアーシーでいい。

ブルーノート、verveなどから、名盤が何枚か出てる。ジメジメしたこんな日には、ぴったりのピアニスト。ごっつい手で、鍵盤が隠れるぐらいだ。よくオスカーピーターソンなんかと比較されるが、、、少し弾きすぎる感のある、ピーターソンと比べ、明快で、乗りまくる、、日本人にも似たようなピアニストがいた、田村翼氏です、かれも、グイグイくる、グルーブするピアニストでした。久留米ジャズファンクラブ制作のCDがある。あの会長から、貰ったのです。

次のピアニスト紹介は、アンドリューヒル。隠れたファンが多い。自分もそのひとり。リリカルで、一見つかみどとろのないピアニストだが、聞きこむと、魅力にハマる。打楽器的な奏法で、他のどのスタイルに当てはまらない稀有なピアニスト、フリースタイルで現代音楽風、ブルーノートなどから、何枚かアルバムが出てる。

サックスよもやま話その3

まず、最初のサックスはこの人、チコフリーマン(ts) でも、この人、掴みどころがないんだなあ。初期の頃は、凄くいい演奏してる。このwise oneもコルトレーンで、有名だが、情念、、ほとばしる、好きな演奏。元々、シカゴの名門 あのAACMを、出てる。結構、濃いジャスフアンに、今でも、支持されている。しかし、親戚のウイントンマルサリスと一緒に、やり始めて、つまんなくなってしまった。ウイントンが売れて来てどうも影響されたとの事。よくある話だ。

もうひとりは、この人、ユーゼフラティーフ、奇妙な名前 演奏も、東洋的な、香りがする、希有なプレイヤー。この「スパルタカス愛のテーマ」が有名。キヤノンボールセクステットにも参加、多くのアルバムに参加してる、
 1956年からサヴォイ、プレスティッジ、リバーサイド、インパルス、アトランテック、CTI、また自主レーベルYALなどに60枚以上のリーダー作を残すマルチ・リード奏者ユセフ・ラティーフが、12月23日、米マサチューセッツ州にある自宅で息を引き取りました。享年93歳。

 コルトレーン、ドルフィー、ファラオ、チェリー、誰とも違う唯一無二のスタイルをもつユニークなジャズマン。そしてバラードを吹かせれば誰もが納得のジェントリー・テナーマン。

サックスよもやま話しその2

今日は、この人、白人サックスのスティーブレイシー、サックスというより、ソプラノサックスの人と言った方がいい。ソプラノサックスをここまで極めた人もそうはいない。あのジョンコルトレーンは、晩年、ソプラノを盛んに吹く様になった。テナーとはまた、違う、魅力があるのか。
経歴が凄い。セシルテイラーから、始まり、モンク。そして、日本の富樫雅彦、佐藤允彦など、結構、多い。このフリー、ドラマー土取利行とのDUOも圧巻である。

wikipediaより抜粋

ピアノ、クラリネットを学んでいた。シュリンガー音楽院、マンハッタン音楽院で学んでいたが共に中退。

1955年、セシル・テイラー・カルテットに参加し『ジャズ・アドヴァンス』(1956年)を録音[1]。1957年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した。1958年、セロニアス・モンクが作った曲のみからなるアルバム『リフレクションズ』を録音し、1960年には16週間、セロニアス・モンク・カルテットに加わるかたちでクインテットの一員として活動した[2]。のちの『エピストロフィー』(1969年)、『オンリー・モンク』(1987年)、『モア・モンク』(1991年)もモンクの曲の編曲集となっている。

1981年に日本で富樫雅彦(ds、perc)と『エターナル・デュオ』(1983年)の録音共演。1986年5月以降、埼玉県深谷市の「ホール・エッグ・ファーム」において14回のコンサートを開催した[5]。