「火宅の人」~檀一雄のこと

つい、こないだ深夜にRKBアーカイブ・ドキュメンタリーとして「檀一雄」の生前の生き様を追う番組が放映されていました。ナビゲーターがあの俳優高倉健。彼自身、檀一雄の生き様に非常に魅了され、この役を引き受けたようである。かなり以前に製作された番組であり、フィルムドキュメンタリーであり、少々古めかしい映像ではあるが、内容は素晴らしいものでした。
自分も檀一雄の「火宅の人」を読んだり、その他の関連本をたくさん読み、また深作欣二が監督し緒方拳が好演した映画も何回も見て檀一雄のひととなりに非常に興味を昔から持っていました。檀一雄は明治45年山梨県で生まれた。その後、昭和本籍の福岡県柳川市に戻り、また上京するもまた福岡に戻り、昭和3年福岡の名門、福岡高校に入学。この頃、同人誌など製作し小説や詩をすでに発表したりしている。また社会主義運動にも関与し退学処分を受ける。昭和7年東京大学経済学部に入学。同人誌「新人」を創刊し、そのころ尾崎一雄、井伏鱒二坂口安吾らの作家と交流。しかしなんと言ってもあの太宰治との邂逅が一番興味湧く。自身の著「太宰と安吾」というエッセイで太宰との交流を書いている。太宰の初期の作品「魚服記」「思い出」を檀が読み、感想をこう述べている「作為された肉感が明滅するふうのやるせない抒情人生だ文体が肉感がのめり込んでいる」と。檀は太宰にこのあやうい才能に感化されたのである。その後、ふたりの放蕩の交友が始まる。有名な出来事に東中野の居酒屋「おかめ」とでの出来事(映画にもそのシーンがある)。いたのが、草野心平、中原中也、そして太宰治、檀一雄である。そこで酔った中原中也が太宰治にからみ「花ではなんの花が好きか?」と問うと、「桃の花だ」と答える。それからなぜ桃の花なのか?というたわいもない議論が始まり、とうとう表に出ろという話になる。しかし表に出たのは檀一雄と草野心平というのがおもしろい。取っ組み合いになり、草野を押し倒し、棒を持った檀が仁王立ちし、殺気だち、中原中也をなぐろうかという形相したという。しかし、太宰はいつのまにか姿をくらましていた。このエピソードを見ても檀一雄という男の矜持、優しさみたいなものを感じる。一方の太宰治はこうした暴力とは無縁の男であった。しかし、太宰治との交流はこれを機会に深まる。放蕩の日々。金が出来ては玉の井遊び借金しては酒びたり。すでに交流のなかで太宰の自殺を予感していた檀は太宰治の「晩年」の校正も引き受け、刊行に尽力を尽くす。しかしこのふたり文壇での評価は太宰治のほうが、上であった。檀は「夕張胡亭塾景観」なる作品で第2回芥川賞の候補にはなるが、さしたる話題作はなかった。しかし、このふたり、芥川賞には結局縁がなかった。檀はのちに「真説石川五右衛門」という大衆小説で第24回直木賞を受賞する。生活のために書いた小説で賞をもらったことに檀は素直に喜べなかった。当時、檀には子供が5人おり、次男が日本脳炎にかかり寝たきりになり、経済的にも困窮を極める。そして大衆小説を書き金を稼ぐ日々。今の作家には考えられない切迫感である。無頼派と言われる所以である。彼は入隊し満州にも渡る。そのときの体験をもとにした小説が「夕日と拳銃」である。そして太宰治の玉川上水での心中自殺。しかし、彼は現場にも行かず、葬儀にも参列していない。これはあとあと憶測を呼ぶ。しかし彼は追悼の長歌「さみだれ挽歌」で太宰に対する愛情とともに屈折した思いが歌われている。

話しはさかのぼるが檀の最初の妻はリツ子といい、太平洋戦争が始まるころ見合いで結ばれる。開業医の娘で美しい才女であったらしい。のちに小説「リツ子・その愛」「リツ子・その死」で献身的な檀の愛がえがかれている。その頃、太宰も結婚し、子供も生まれ生活も安定し「女生徒」「東京八景」など多くの作品を生み出した時期でもある。しかし、檀は相変わらずの放浪癖で満州にもふたたび渡っている。こうしてみると太宰治は文筆家といえるが檀一雄は放浪の詩人という風で、対照的である。リツ子の死後、再婚したのがヨソ子である。ヨソ子は福岡県柳川の出である。そしてこの妻ヨソ子と愛人入江杏子との間で苦悩する檀がその詳細を書きつづったのが遺作「火宅の人」である。檀が死の床についているとき刊行され、死後もベストセラーを続けた作品。14年もの長きにわたり文芸誌に断続的に連載されたこの作品、是非読んでいただきたい。そして、そのほかに彼自身が書いた「小説・太宰治」「青春放浪」も。そして時間のあるかたは沢木耕太郎の小説「檀」。これは妻ヨソ子が主人公で檀との苦悩、確執を見事に描いている。そして活字の苦手の方は映画「火宅の人」を観てください。RKB毎日放送のドキュメンタリーのなかで、高倉健がポルトガルのサンタクロスという町を訪ねるシーンがある。檀一雄が単身、2年あまり過ごした田舎町である。住民を自宅に招き自慢の料理を振舞った日々。田舎町で過ごした日々の思いめぐらし、現地の住民が心から彼をいかに敬愛していたか・・・。パーテイで高倉健が同じようにもてなしを受けるシーンに感動する。そして晩年は能古の島に自宅を移す. (月壷洞とよばれている)、そして最後は九大病院で息をひきとる。享年63歳。番組の最後ごろ娘の檀ふみが涙を流しながら、父親の思い出を語るシーンがある。思わず涙する。最後まで家族を本当に愛していた、最後の無頼作家、檀一雄、あの笑顔がよみがえる。

能古島に文学碑が建てられ、その文面には檀の辞世の句となった「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」と刻まれ、毎年5月の第3日曜日には檀を偲ぶ「花逢忌」がこの碑の前で行われている。

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