父の死に思うこと・・・・

1日の未明、突然 父が亡くなった。晩年は特別老人養護施設で元気に過ごしていましたが、、血圧が急激に低下し、食べ物も喉を通らなくなった旨が昼間姉から電話がありました。急遽病院に移ったが、あっという間に亡くなってしまいました。享年93歳の大往生でした。思えば母のときも臨終に立ち会えず、父の時もである。母は病院で長期療養していた。サリーマン時代であり、場所も北九州ということで、かけつけられなかった。今回もライブ中でもあり、無理であった。因果な商売である。思えば親不孝な息子である。悲しい限りである。映画のように手を取り、最後の言葉をかけたかったと思うのであるが・・・。急遽亡くなったこともあり、側に姉がいたからよかったが、もし近くにだれもいなかったらと思うと。葬儀屋など段取りは姉がしてくれ助かったのである。長男である自分が喪主であり、お坊さんへの対応、挨拶などそれなりに大変でありました。この浄土真宗のご住職、母のときにもお世話になり、久しぶりに再会。しかし、いまは癌にかかり、治療中だそう。あととりの息子さんが一緒。このご住職、話が非常におもしろいのである。通夜の意味を聞かされ、思わず納得。葬儀と違い、通夜は故人の思い出など語り合い、あの世に行く前の壮行会のようなものということで、お経のあとは笑いながらのお話。93歳の大往生ということもあり、余り悲しい雰囲気ではない。また親戚のおばさんどもよくしゃべること!ほとんどつれあいは先に先だたれひとりもの。本当に女性は元気。親父の一番上の姉は96歳なのである。そしてあらかじめ考えていた紋きりのありきたりの喪主の挨拶はやめ、アドリブ一発、これがあとで好評でした。やはり人間は本当の言葉でしゃべらなくてはいけません。父との様々な思い出を語りました。幼少のころ、川に泳ぎに連れていかれたことなど、そして、なにより父は私に怒ったことが本当になかったこと。好きなようにさせてくれたことです。

小串家三代

宮大工の息子として生まれた父は、一時修行して大工として働くも、のちに商売するも失敗、工場で働いたり、また晩年は工務店を経営していた。満州事変に行きました。しかし、長男なのか太平洋戦争には召集がかからなった。しかし、それはそれでいろいろ大変だったらしい。住職とも仲がよく、いつも戦争の悲惨さを訴えていたらしい。年一回戦友会に行くのを本当に楽しみにしていました。カメラが趣味でリバーに置いてあるカメラは父から譲ってもらったもの。また、踊り(いわゆるシバオケ)が好きで、元気なころは戦友会や施設で人を楽しませていたらしい。あるとき偶然股旅姿の写真を見たときは驚いたものです。そういう父はまったく金儲けは駄目でしたね。お人よしで商売には向かない。でも葬儀に参列した人達は皆、心から悲しんでくれてましたね。とくに養護施設の方が理事長以下たくさんの方が見送りしてくれました。
人間はいつかは死ぬ。しかし、死ぬことなど意識して生きてはいない。こうした身内や友人の死に直面すると考える。そして年を取ると、段々意識し出すもの。ここ数年、そう 50代になってから、仏教の本やキリスト教などの本をよく読むようになった。とくに家は浄土真宗ということもあり、親鸞に興味を持ち「歎異抄」「教行信証」、などや五木寛之の「親鸞」や吉本隆明の「最後の親鸞」野間宏「歎異抄」など、かたっぱしから読んだ。他力本願思想の親鸞、難行や難しい学問だけでは成仏しないこと・・・念仏こそがまさに成仏できる道。まさに民衆の仏教なのである。

最後に「歎異抄」のなかに以下の一節を紹介しよう。意味深い言葉である。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」・・・

解説すると

「私は煩悩をいっぱい持っている凡夫です。また私の住んでいる場も不安に満ちた無常の世界です。そういう私がどうして善悪など確かな認識を持つことが出来ましょう。およそ、この世で人間がすることはすべて空しいこと、うつろなことで真実なことはまったくありません。ただ、念仏のみが真実です」

一読すると虚無的な感じもしますが・・・善行とおもったことが
相手を傷つけたり、また逆も・・よくある。善悪の判断などもともと人間には出来ないのであると・・・・なにか実生活でもよくあることのようであるが・・・。
煩悩具足のわが身、苦闘は続くのである。

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