たまにはジャズのこと忘れて・・・・

ずっと、ジャズのことにたずさわり、仕事にしていると、時にはジャズのことから離れたくなることがある。毎晩のようにライブをやり、レコード聴いたりしてると感覚が麻痺するというか、マンネリになるというか・・廻りの人が熱心にあの人凄いよとか、あのCD凄いよとか言われてももうひとつ気がのならない日々が続くことがある。歳のせいかもしれない?また長年、ジャズを聴いてきて耳が老化現象おこしているのかもしれない。

1960年代後半から70年代、80年代東京にいた頃、ピットインやタローなんかに毎週、聴きに言っていた頃が懐かしいのである。当時はブルーノートもなく、ほとんど日本人の演奏するジャズである。いわゆる土着ジャズである。なにか泥臭く、熱い思いになったことが懐かしい。今のジャズも質はかなり高くなったし、もう国内だけでなく、NYのミュージシャンなんかとCD出したり、ライブする時代になった。しかし、しかしである技術的には素晴らしい人はたくさんいるが・・心から湧き出る感動が少ないのである。だから、新譜のジャズにほとんど興味がわかない。この間、あるボーカルの女性と遅くまで飲んだ時、その人もしばらくジャズを聴きたくなくなり、オペラやクラシックを聴いていたと。その人が言っていた「今、ジャズは垂れ流しみたいに巷に流れ、あらゆるところでライブしてつまらない」と。自分と同じ感じなのである。またBsで東京ジャズを放映していたが・・最後まで見れない・・つまらないのである。これはかなり重症かもしれない。また、ジャズがまた好きになるまで、旅に出ようと思う。ほかの分野でなにかを見つけなくてはならない。

最近。いや以前からクラシック音楽が好きで、家にはCD、LPがかなりあり、また聞き込んでいる。楽譜どおりでクラシックはつまらないという人が多いが、私はそうは思わない。ひとつの楽曲を掘り下げ、ストイックまでに練習する姿勢には頭が下がる。音に集中してその積み重ねでコンサートをやる姿勢が好きである。一時こうした雰囲気がジャズにもあった、今はまったくないとは言わないが少ない気がする。昔、板橋文夫と林栄一のDUOをリバーサイドでしましたが、リハから二人はほとんどくちきかないし、この緊張感は凄かった。ふたりの性格といえばそれまでだが。ある人はあのライブがリバーのベストだという人もいる。魂のこもった素晴らしいライブだったと思う。ジャズはある意味、アマチュアとプロの垣根がなくなり、いい意味で言えば大衆化し、また別の意味で言えば、だれでもライブできまさにタレ流しなのである。聞くほうもなにか、酒飲んで騒いでいい気持ちになればいいみたいな安直な気がする。

もうひとつはボーカルがジャズの主流みたいになりつつあるのもどうかと。確かに、カラオケなんかに飽きた人達は巷にあるジャズボーカル教室に通い、すぐ歌えるようになる。しかし、ジャズの本流はやはり器楽演奏の醍醐味である。ボーカルを否定するわけではないが。現にボーカルのライブは人が入る・・店にとってはありがたいが・・。ボーカルする人、また、そのお客さんはほとんどインストのライブに来ないのが嘆かわしい。うちでライブした、某有名ボーカリストはクリフォード・ブラウンのレコードを繰り返し聞いて勉強していたと言っていた。もうすこし、ジャズを体系的にとらえて歌の勉強してもらいたい。そして、楽器する人もジャズ(音楽)のことばっかり勉強してもこれも駄目である。飲んだ時に音楽のことばかりしゃべっている人間が多い!退屈なのである。社会的なものとつながっていないと単なる見世物でしかない。メッセージのないジャズが多い。だからつまらないのである。

いま、JJこと植草甚一の本に夢中である。ずっと尊敬していてもう何冊も読んだが、もう一度読み直している。「こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた」をこの間、古本屋で見つけ買った。ジャズのことはもちろん、海外小説、ミステリー、カフェ、ジャズ喫茶、神田神保町古本屋のことなどなど、楽しいことばかりが書いている。勉強になる!JJはやはり凄い!今のジャズ評論家がいかに小粒でつまらないか・・・わかる。JJの本読み直して、またきっとジャズのことがもっと好きになると思う!!

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