日本ダービー回顧録〜思い出のダービー馬

日本ダービー回顧録〜思い出のダービー馬
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いよいよ、日本ダービーが東京、府中競馬場にて、5月27日の日曜日に開催される、85回目にもなる。思えば、大学を卒業して、就職で上京。着任した部署の先輩で、部類の競馬好きがおり、当時、まだ土曜日が12時までの就業で、週休二日ではなかった、田舎者が上京し、周りにさしたる友人も、勿論恋人などいるよしもない中、この先輩の後ろを金魚の糞のように付いて回っていた。そして、着いたところが、中山競馬場、この頃の中山競馬場は、今とは違い、汚く、怪しい人種が、ウロウロしていた。いわゆる鉄火場である。先輩の見よう見まねで、競馬新聞を買い、馬券を買った。その頃の馬券は単勝、複勝、枠連の3種類しかなかった、そして、目ごとに一枚一枚の馬券が、発券される。だから、かなり1レースごと分厚くなる。昭和48年の春である。丁度48年はあのハイセイコーが、地方競馬からさっそうと中央競馬に移籍し、無敗で、弥生賞に登場したのである。泥んこ馬場で、勝った。鞍上はのちに「さらばハイセイコー」といううたを自ら歌い大ヒットした、増沢末夫騎手、当時話題になった。地方競馬から野武士のように中央に来て、血統馬をなぎ倒す姿に、下流階級の労働者群は、拍手喝采し、応援していた。話を戻そう、当時会社の寮が府中の隣町、調布の深大寺近くにあった、日曜日こと、ゾロゾロ、寮の先輩達が、首からラジオをぶら下げ、朝から出で行く姿を見ていた。そう、みんな府中の東京競馬場に行ってたのである。自分も、同僚と出かけた、その日はオークスの日、勝ったのが嶋田功騎手が乗るトウコウエルザ、2着が、あの岡部が乗るスピードシンザン、⑤-⑤のゾロ目で確か7.8千ついた。200円馬券を3枚買ってたのだある。4.5万勝った、初任給10万くらいの頃である。まだ、競馬始めてすぐの頃、いわゆるビギナーズラックである。なんだか、こんな面白く、ワクワクするものはないと思い、のめり込み、まあ45年余り続けているのである。だから、ダービーの日は思い入れ強い。東京にいれば、現場にいたいと思うこの頃、来年こそ絶対、東京競馬場に、と毎年思うこの頃。ハイセイコーは前哨戦のNHK杯も勝ち無敗でダービーに。勿論圧倒的1番人気、明後日のやはり無敗のダノンプレミアムとダブルが、こちらは超血統馬、そこが違う。しかし、結果は、タケホープに敗れ、2着はイチフジイサミ、ハイセイコーは直線で失速、3着である、場内は悲鳴に近い声、声。大荒れである。競馬に絶対はないという名言を噛み締めた時である。その後、このタケホーブには、菊花賞でも敗れ2着。その後なかなか勝てず、たしか、今で言うG2を一勝して引退。さらばハイセイコーである。
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強いダービー馬といえば、カブラヤオーか、
その年は、テスコガビーというまた化け物牝馬がいて、桜花賞、オークス連覇。そしてこの両馬に騎乗していたのが、菅原泰という騎手、決して一流ではなく、ただひたすら逃げるというワンパターンの騎乗で皐月賞、ダービーと勝ったのである、それは強かった。
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そして自分が、思いで残るダービー馬🐎といえば、ミスターシービーか、いつも最後方に位置し、ごぼうぬきする、あの剛脚に痺れていた。騎手はあの吉永正人である、今コメンテーターとかで、テレビに出る吉永みち子の元旦那である。寺山修司が彼の大のファン、
丁度ダービーの日、フジテレビの解説で出演していた。この頃すでに寺山修司は病気を患っていたのである。寺山修司は競馬が好きなって、彼のエッセイとか競馬に関する本を貪り読み、その都度、ロマンと郷愁に浸っていた。「馬破れて山河あり」「競馬への望郷」とか、報知新聞に連載していた、競馬エッセイが大好きだった。すし屋の政、トルコの桃ちゃんとか必死に馬券を握りしめて、当たったり、外れたりする悲喜こもごもに、市井の人々の姿に自分を重ねていた。かれは、一時馬主にもなった、その経緯が面白い。ある時、雑誌で、地方競馬の馬の事をドサ回り呼ばわりし、それを見た大井競馬の調教師が激怒し、それを聞いて寺山修司が謝り、、馬主になり、ある一頭をその調教師に預けた、それが「ミオソチス」という牝馬。ミオソチスとは、日本名で忘れ草という、ひっそりと路上に咲く、一輪の花である、、粋な寺山修司である、いい名前である。いまその馬と映っている写真をリバーサイドのカウンターの後ろに貼っている。この写真は、絵葉書で実は、寺山修司と親交のあった、新宿に住んでるもの書きの人が何年前か、リバーサイドを訪れてくれ、寺山修司がすきだっといだら、後日絵葉書を送ってくれたのである。大事な絵葉書。
寺山修司とは、じつは、一度すれ違ったことがある、渋谷の場外馬券売り場近く、天井桟敷もその近くにあった。横に女性が一緒、おそらく九条映子だったろう。下駄を履いてたようで、恐ろしくおおきな男の印象でした。ミスターシービーの解説のあと、しばらくして、死去の訃報。ミスターシービーは、その後菊花賞もとり、シンザン以来の三冠馬になった。悲しかった。寺山修司は天国で、さぞかし喜んだろう。今はかれの本、映画、芝居、競馬感、自分の人生にこれだけ影響受けた人はいない。彼には、都会のひとにはない郷愁がある。
ミスターシービーの後現れたのが シンボリルドルフである。この馬は憎たらしいほど強かった。とにかく、馬券は取れた、しかし、トリガミつまり、当たるが儲からないの繰り返し。こんな馬は余り思い入れがない。むしろ、その後現れた名バイプレイヤーに惹かれる、例えば、ひたすら逃げて買った、ミホノブルボン、サニーブラウン、特にサニーブライアンは、皐月賞でも、大外から逃げ切り、馬連をとって、万馬券せしめ、大儲けした記憶がある。そのほか、父ハイセイコーの無念を晴らしたカツラノハイセイコ-とか、競馬は血統とよく言うが、確かに、父が母が、果たせなかったダービーを🏇、勝ち取るというドラマがある。他のギャンブルにはない、血統というこのロマン、長く続けてきた魅力がここにある。また、牝馬で圧倒的強さで勝った名牝ウオッカなど、思い出は尽きない、今年もあと6時間余りで、第85回ダービーが始まる、そして、昨日、初孫が生まれた。東京の息子から連絡。女の子、ウオッカみたいに強く美しい女になって欲しい。しかし、名前を聞いてドン引きした、、、これはここでは書けない、、、余りに衝撃的で、なお感動的な名前、、、。血統を次ぐ、、、わしの。
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